初任の頃以来、一年生の担任をした。主任となった先生は、今年からこの学校に赴任してきた人だった。そして、若い初任の二人とも学年を組むことになった。ぼくは、その間の立場として、どのように立ち振る舞うことができるのだろう。あの歯痒さを、溝を、どう克服することができるだろう。
岩瀬さんにはなれない。いや、ならなくていい。ぼくは、ぼくだった。そう思えた瞬間に肩の荷が降りたような気持ちになった。学年を組む先生たちと共に考えよう。そして、子どもたちと共につくっていこう。
そうしてぼくはこれまで取り組んできた実践を全て捨て、この一年のスタートを切った。
ぼくが取り組み始めたのはまず聞くことだった。主任が何を考え、どうしていきたいのかを。そして、初任の二人が何をしたいのかを。ぼくは、頻繁に教室に顔を出して話にいった。好きなことや趣味のこと、くだらない雑談。大切にしていることやこの学校のこと、そして、もちろん、子どもたちのこと。そうすると次第に関係性ができてくる。次第に興味をもって聞いてくれるようにもなっていく。ぼくたちは仲良くなっていた。自分のクラスだけじゃなく、他のクラスの子どもたちのことをみんなで見ていこうという雰囲気になっていった。
実践以前の大切なことを感じていた。そして、その関係性は、これまでやっていた実践が生かされる土壌にもなっていった。もちろん、上手くいかないことも沢山あったし、喧嘩もした。でもその度に、なんとか話して気持ちを分かり合おうとしてきた。
フィンランドのケロプダス病院にて行われた精神医療実践として知られるオープンダイアローグ。その原則の一つに対話主義と言われるものがある。オープンダイアローグは精神医療でありながらクライアントの改善や変化を目的としない。対話を通して第一に目指す目的は対話そのものを続けるということだという。変えようとしないことで変わっていく。オープンダイアローグにはそんな不思議な力がある。ぼくらの学年で起こっていたこともまさにオープンダイアローグ的であった。予め何かを成長や変化を目的として話をしたわけではない。でも、そうすることで、ぼくらの関係性は紡がれていき、確かによりよい方向へと向かっていっていた。
予め変化や成長を求めないこと。ぼくはこの年、その大切さを自分のクラスでも感じていた。
その年のぼくのクラスでは、係活動が活発的だった。子どもたちは他の人を楽しませるために係を発足する。クイズや手品、工作など様々な係活動ができた。そんなことを続けてきた二学期、一人の女の子がタピオカ係を作りたいと言い出した。もちろん食品を扱うことはできない。どんな係になるのか分からなかった。「意味あるかな」なんて考えてしまう大人の邪念が頭をよぎる。係は解散することもできるので、とりあえず始めて様子をみてみることにした。タピオカ係は、千切った黒の折り紙を丸めたものをタピオカに見たて、紙コップに沢山入れることでタピオカジュース作っていた。完成したタピオカを並べてお客さんに「どうぞ」と言って渡し、もらった子は美味しそうに飲む真似をする。その顔の嬉しそうなこと。そんな姿を見ていたらこっちまで嬉しい気持ちになってくる。「先生もどうぞ」と一人の女の子がタピオカジュースを私にきてくれた。 ぼくも渾身の飲む真似をして「美味しいね」と笑顔で言った。そこに意味なんて必要なかった。
カイヨワが遊びを四つに分類した一つにミミクリ(模擬・模倣)がある。タピオカ係はまさにこれだろう。遊びとは遊びそのものが目的である。ぼくたちはそうした遊びの中で、人と人のつながり感じることができる。
西川正さんは、遊びについて「車のハンドルや、建築物などで「意図的につくったゆるみ」などを表すことばも「あそび」という。一見無駄に見えるが、それがなくては全体をうまく動かなくなってしまうもの。こういうことに対して、私たちは「あそび」という言葉を当てはめてきた。」とし、私たちが失ったのはこうした余白としての「あそび」ではないか。という。今教室に余白はあるのだろうか。意味ある時間だけになってはいないだろうか。長野にある伊那小学校の元教員が書いた詩がある。
『未完の姿で完結している』
ああでなければならない
こうでなければならないと
いろいろに思いをめぐらしながら子どもを見るとき
子どもは実に不完全なものであり
鍛えて一人前にしなければならないもののようである。
いろいろなとらわれを棄て
柔らかな心で子どもをよく見るとき
そのしぐさのひとつひとつが実におもしろく
はじける生命のあかしとして目に映ってくる。
「生きたい、生きたい」と言い
「伸びたい、伸びたい」と全身で言いながら
子どもは今そこに未完の姿で完結している。
年度の終わり頃だったと思う。
「井上さんがいてよかった。」
そう言われた。
その年度の終わりは突然訪れた。コロナが到来し、学校は一斉休校を迎えたのだ。

書いてみる