街と教室 | 教室とは何か

彼と出会ったのは、二十歳のときだった。ぼくは大学の実習で週に一回、都内の小学校に通っていた。小学二年生の彼は授業中に床に寝そべったり、教室から飛び出したりする子だった。「学ぶことが苦手な子なのだろう。」心のどこかでぼくはそう思っていた。ぼくは、その子のことを見ているよう頼まれていて、実習に行くたびに彼と会話して少しずつ関係をつくっていった。

 実習を重ねて仲良くなりだした頃、その日も彼は教室から飛び出しいつものトイレの個室に駆け込んだ。

気持ちが落ち着くと出てくること知っていたので、そのドアの前で待つことにした。それはいつものようの繰り返される光景だった。

彼には、彼がいる教室がある。彼の机と椅子がある。いることのできる場所。彼は、そこから逃げていくのだ。

あの日から十年が経った。教室から彼だけではない。不登校は過去最多の三十万人。

みんなの居場所であったはずの教室は、いつの間にか、誰の居場所でもなくなっていった。

私たちの教室は、彼の教室は、一体どこにいったのだろう。

建築家の青木淳は小学校について以下のように言っている。

 街路や住宅が目的をもった行為に切り分けられ、さまざまなビルディング・タイプとして目的地に移し変えられていくのを前にして、ぼくがやってみたいと思ったのは、そうして一旦はでき上がってしまっている目的地をもう一度「未目的」の状態に差し返すことであった。つまり、ぼくたちの行為に先取りして存在している空間を引きずり戻して、行為が起きることではじめて出現する「場」につくり変えたいと思ったのである。

 そのためにぼくがまず必要だと考えたのは、空間から目的を剥ぎ取ることであった。(中略)たとえば小学校を設計する。しかしそれが「小学校であること」をその出発点から葬り去る。

 狭義の「建築計画学」はこれとちょうど反対のことをする。小学校ではかくかくの行為が行われるので、しかじかの空間を必要とする、というような順番で考える。その空間で行われることはあらかじめ決まっている。小学校ができ上がると、意図どおり教師や児童生徒が動いてくれたかどうかが検証される。いかにうまく人間を空間というシナリオどおりに行動させられるかが問われている。

 こういう「建築計画学」の精度が上がり、それが細かく適用されればされるほど、ぼくには小学校が「見えない牢獄」に近づくように見える。(中略)児童生徒は意識はしていないが徹底したシナリオの外に一歩も出られなくなっているように思われるのである。友達としゃべることまで想定された「しゃべろうか」という、何とも悪い冗談のような廊下の話を聞いたことがある。

 もちろん、こういうはなはだ反教育的な空間を避けるために、なんでもできる「ための」空間も用意される。しかし、どのように扱うにしても、出発点に「小学校であること」を置くということには、ぼくには空間が行為に先行するという倒錯にしか思えないのである。

彼はそんな牢獄から逃げ出したのだった。しばらくしてトイレのドアが開いた。

「先生、雲ってどうしてあるの?」

彼がポトリと呟いた。彼は学ぶことが嫌いで教室から逃げ出したのではなかった。この問いを、この声を、ただ守りたかっただけなのだ。センス・オブ・ワンダー。彼の問いは、カーソンのそれそのものだった。

子どもたちの世界は、いつも生き生きとしていて新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしも私がすべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さに目を見張る感性』を授けてほしいとたのむでしょう。この感性はやがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

彼にとっての、彼のために準備された教室は、彼が何かを学ぶ場所ではない。居場所でもない。

この問いをもてる彼が、なぜ教室から飛び出さなければいけないのだろうか。

彼のもっているその問いは、ぼくらの教室の扉を開いた。

彼とぼくが、男子トイレが、教室になっていた。

教室は準備されているのではなく、起こるのだ。

誰にだって。どこにだって。

教室はとは何か。

 かくしてぼくは教室を離れ、今、街づくりの仕事をしている。

教室が今背負位すぎている「大切なこと」をもっと街が担っていくことができないか。そう考えている。

 教室で生まれた物語の続きをあなたとこれからも紡いでいきたい。

書いてみる

タイトルとURLをコピーしました