ここからは、感覚的になってしまうが、「学校をつくると学校になってしまう」というジレンマも感じている。近年、公立学校の教員を辞めて新しい「学校(いわゆる一条校やフリースクール含む)」を設立するという動きが増えてきている。教員として勤務している中ではその流れはほとんど感じないが、民間(教育委員会主催ではない)の研修やワークショップで出会った仲間は、そのほとんどが公立学校を辞め、新設の私立やフリースクールに移ってしまった。「教育」ではない道に進んだ仲間もいる。共に学んだ仲間としての縁もあり、様々な「学校」を見学させてもらってきた。もちろん、従来の「学校」に代わる「学校」として素晴らしい場所であると感じるところもあるが、従来の「学校」の域を出ていないところも散見される。もちろん、いわゆる「一条校」として認可されるためには「学習指導要領」に沿ったカリキュラムでなくてはならないため、「学校」的になってしまうことは否めない。しかし、いわゆるフリースクールは「一条校」ではない。裏を返せば、何をやってもいいことになる。にも関わらず、「学習指導要領」に沿った「学校」的なカリキュラムを子どもたちに強いているところもあるのが現状である。
そうなってしまう理由として、先述した「学校をつくると学校になってしまう」というジレンマが挙げられる。新しい「学校」をつくろうとしても、「学校/School」という言葉を使っている以上、「学校/School」という枠からは出ることはできない。
ではどうすればいいか。「学校」をつくろうとしなければいいのである。わかりやすいように、あえて「学校」という言葉を使うと、「学校をつくる」のではなく、「学校になっていく」ほうが自然な気がする。「学校」をつくって、そこに人を集めるのではなく、人がいる場所に学びが生まれていれば、その場所が「学校」なのである。このホームページの運営者である井上瑶は、「カレー屋(古着屋?)をやりたい」と言っていた。もちろん、ただのカレー屋ではなく、そこに子どもが集まり、大人も集まり、何らかの学びが起きることもあるし、起きないこともある。そこがやがて、「学校になっていく」。別にカレー屋じゃなくてもいい。ただ、何かきっかけがあるほうが人は集まりやすい。彼にとってはたまたまそれがカレー屋なのである。
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