学校① :「学校」は監獄?|やぎの教育辞典

 「学校」は「学」は「学ぶ」であるため、主語は学ぶ側であり、教える側が主語の「教育」に比べて問題なさそうな気がする。しかし、『精選版 日本国語大辞典』によると、「校」には、『①学校。まなびや。②罪人の手、足、首などにはめる刑具。かせ。③写本の文字の誤りを較べ正すこと。校正すること。④「(こうてい)校訂」の略。』とある。ここで注目したいのは②の「枷」の意味である。

 フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生〜監視と処罰』で監獄と学校の共通点を指摘した。フーコーは、近代の学校システムは、「規律・訓練」という概念によって子どもたちを秩序の中にはめ込み、学校という一種の権力に自発的に服従する主体をつくりだしてきたと述べている。これは、近代にとどまらず、現代の「学校」にも当てはまると考えられる。基本的に「一斉授業」をはじめとした学校のシステムは、現代も変わっていない。「100年前の医者が現代の病院に来ても役に立たないが、100年前の教師が現代の学校に来ても活躍できる」という話を聞いたことがあるが、あながち間違えではないだろう。フーコーのいう「規律・訓練」についても現代の学校では現役である。「規律」は「学習(授業)規律」に始まって、運動会などでの「行進」や、「前へならえ」、「背の順」や「出席番号順」での整列などが当てはまる。「訓練」の代表格は「避難訓練」だろうか。また、いわゆる漢字ドリルや計算ドリルなどの反復学習も「訓練」にあたると考えられる。これらの「規律・訓練」の問題点は、ほとんどの場合、子どもたちがやる意味を理解していないことである。「学校」は「学校」ではなく、「学舎(がくしゃ)」もしくは「学び舎/学び屋/学び家」くらいのほうがいいのかもしれない。

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