教育①:「教育」の言葉を問い直す|やぎの教育辞典

「教育改革」では教育は改革できない?

 「義務教育」、「社会教育」、「教育委員会」…。当たり前のように使われている「教育」という言葉。この言葉の意味を考えたことがあるだろうか。私は、この「教育」という言葉こそが本来の「教育」を妨げている最大の要因なのではないかと考える。

 「教育」を広辞苑第七版で調べると、『教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動。』と書かれている。「教育」、つまり「教え育てる」という言葉は(子どもに対して使われることが多いが、その場合の)主語はほとんどの場合、「教育」を施す側(の大人)になる。百歩譲って学び手を主語にした「教わって育つ」と考えても、教えてもらう相手に依存する言葉になる。そこに、教育の主体であるべき学び手の姿は見えない。

 この「教育」という言葉を再考しないまま、いくら「教育改革」を掲げても、「教育する側」の目線での改革にしかならない。つまり、「教育」の枠を出ることはできず、マイナーチェンジで終わってしまうことを意味する。今こそ、「教育」をはじめとした「教育の言葉」を問い直すことが必要なのではないか。

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