「教育」という言葉に違和感をおぼえたとき、「教育」よりも「保育」も方がしっくりくるのではないかと考えていた。「教育者」が何かを教えることが前提ではなく、余計な邪魔をしないように「保って育てる」。しかし、「保育」というとどうしても「保育園」が思い浮かびぶため、幼児教育以外のイメージがしずらくなると感じていた。そんなとき、「発育」という言葉に出会った。
そもそも「教育」という言葉は、明治時代に「education」という英語を訳して生まれた言葉とされている。幕末から明治にかけて、たくさんの英語が日本に入ってきた。それらを翻訳した日本人の一人が福澤諭吉である。福澤は『文明教育論』の中で「学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずよくこれを発育するための具なり。教育の文字ははなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。」と述べている。福澤は、学校で行うべきものは「教育」ではなく「発育」であると強く主張した。仮に「education」の訳語が「教育」ではなく、「発育」であったなら、日本の「education」のあり方は大きく変わっていただろう。明治36年の『新英和辞林』では、「education」を「教育」「養育」「教訓」「訓練」に続いて「薫陶」と訳している。「薫陶」は広辞苑第七版によると『(香をたいてかおりをしみこませ、粘土を焼いて陶器を作りあげる意)徳を以て人を感化し、すぐれた人間をつくること。』である。現在の「教育」に置き換わる言葉になるかはさておき、とても美しい言葉である。
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